2011年3月11日 東日本大震災および津波による被害状況

東北地方太平洋沖地震および津波による被害状況

数字で見る地震と津波
発生日時:2011年(平成23年)3月11日
マグニチュード:9.0
死者数:15146人
行方不明者数:9034人
避難者数:109688人

東日本大震災から二年、被災地の今
2013年3月1日
ASJ34メンバー永井恵子

2011年3月11日のあの未曾有の大震災から2年が経とうとしている。「復興元年」と呼ばれた2012年も、終わってみれば、残念ながら、期待されていた成果は全体的に見られなかったと言わざるを得ない。
福島県を除く被災地では、地震・津波災害の一連の応急的な復旧作業は殆ど終ったが、本格的な復興工事の開始には大きな地域差があり、震災数ヶ月後と変わらぬ荒涼とした風景が、今でもあちらこちらに散在している。
行政の行動は相変わらずスピードと柔軟性に著しく欠け、人々の暮らしに多くの悲劇と不幸をもたらしている。山積する前代未聞の課題を一つ々々解決しながら、遅い歩みを始めた被災地。ようやくその姿を見せ始めた試行錯誤の復興を生きる被災者の姿を、私達が理解できた範囲で、以下に紹介していきたい。
半年前に比べ、国や県が公表する有用な数字の量は減って来ている一方、メディアが発信する情報は、復興作業が目に見えて進行している都市の例が多く、その陰に隠れた小さな町や村の被災者の様子や、彼等が抱える問題を知る事は、益々難しくなって来ている。
また一口に被災地と言っても、福島県の状況とそれ以外の被災県の状況とは異なる。混乱を避ける為、ここでは先ず福島県を除く被災県、つまり災害の主原因が津波だった地域から始め、その後に福島県に移り、最後に全体のまとめで終えたいと思う。但し記載されている数字は、特記されている場合を除き、被災地全体を示している。

*復興庁公式データ(2013年2月15日現在)
被災県数 : 11県                                (この内、地震・津波の被害度の最も高かった宮城県・岩手県・福島県を被災三県と呼ぶ)
人的被害 : 死者15.880人、行方不明者2.694人、負傷者6.135人、                                震災関連死(震災による負傷や病気の悪化が原因の震災後一年以内に発生した死亡の数)は2.302人で、この内の9割が66歳以上。
被災家屋 : 全壊128.900戸、半壊269.000戸、一部損壊736.300戸
損害推定額は16兆5.600億円で、2011年の世界全体の自然災害336件による損害額の、約6割を占めている。
余震 : 回数は次第に減少してはいるが、2012年内で計1.872回
復興庁は政府内に震災後間も無く設立されたが、1年間は、主に新規法律の作成と既存法律の整備や予算の算出に費やされ、復興推進委員会の第一回会議の開催は2012年3月。復興交付金の第一弾は2012年3月、第二弾は5月、第三弾は8月、7県72市町村が対象の第四弾は11月に交付配分された。交付は今後も随時行われる予定。
次に復興の現状と課題を拾って取上げる。(1)災害廃棄物の処理(2)地盤沈下(3)インフラ(4)産業分野(5)町づくりと住居(6)雇用(7)被災者のケア(8)子供達の支援(9)支援活動 と便宜上分類したが、これは重要度の順番ではない。相互に関わり合った、いずれもが重要な問題点であり、平行して解決されていかなければならない。
数字は復興庁と各県が公表したデータに基づくが、これ等の数字は生きた情報とは言えない。補足の文章は、数字が語らない実情を少しでも伝えられればと願って記すものである。

*復興の現状と課題
避難者 : 315.000人(本年2月15日現在)(震災直後は470.000人)この内   県外へ避難している人 : 岩手県1.600人、宮城県8.000人、福島県57.100人  避難先は47都道府県内の約1.200市町村
新設プレハブ仮設住宅 : 完成戸数53.000戸、入居戸数48.000戸         みなし仮設住宅(県が借り上げて被災者に提供する公営・私営賃貸住宅): 70.800戸
一方、新傾向として、自宅の修復を試みたり自宅に戻って住み始めたりしたものの、被害が複雑で、結局は解体を決めるに至り、仮設住宅住まいを余儀なくされる例が出ている。宮城県では、2012年度内の仮設新入居数は760世帯、入居待ちは280世帯。
次に、異なった分野での現状の紹介に入る前に、復興が遅れている原因を、代表的な街づくりの例を取って、私達なりに分析してみたいと思う。
¤ 各自治体による復興計画の策定から着工までの過程の複雑さ : ①全体計画の策定 ②住民への説明と協議 ③防災集団移転か土地区画整理か等の選択 ④個別事業の計画策定 ⑤法手続きの施行 ⑥工事の発注 ⑦着工。この複雑さにより、現在までに全自治体に於いて完了しているのは①計画策定のみとなっている。
¤ 自治体側のマンパワー不足。全体的な公務員数と、特に街づくりの専門知識のある技師の欠如。この事も原因して、街づくりの明確なビジョンが示されていない場合が多い。
¤ 住民は域内外に分散して避難している為、集合が既に困難であり、また住民間での意見の対立も頻繁で、上記②の協議さえ終了していない自治体が見られる。
¤ ようやく具体的な個別事業計画の策定に至っても、用地買収の難航などにより足踏みする。
¤ 現地の建設業者の不足と、業者側の人手不足(特に技術者・施工管理者・電気や配管などの専門職)。就労者の宿泊場所不足。
¤ 土地の嵩上げ(盛り土)だけでなく、道路・海岸・防潮堤などの復興工事に使用する土砂やセメントの入手困難。
因みに、予想復興期間は、宮城県が ① 復旧期(2011‐13年)② 再生期(2014‐ 17年)③ 発展期(2018‐20年)、岩手県が ① 基本復興期(2011‐13年) ② 本格復興期(2014‐16年)③ 更なる展開への連結期(2018‐20年)。
(1)災害廃棄物(瓦礫)と津波堆積物の処理
被災三県での推計量 : 2.670万トン(災害廃棄物1.630万トン、津波堆積物1.040万トン)この内、撤去済み2.120万トン、撤去済みの内の処理済み940万トン      
被災地域内に建設予定の仮設焼却炉34基。土地確保困難により滞っていた建設はようやく進み、本年1月末現在で、宮城県では全26基が稼動を開始した。
被災地域内で処理できない推定69万トンについては、その他の都道府県での広域処理が必要だが、その内のおよそ25万トンが既に処理されている。
しかし、瓦礫の再生利用も始まっている一方で、沿岸部の海底には、引き上げられていない廃棄物が無数に沈んでいる。

(2)地盤の沈下と液状化
大地震による大規模な地盤沈下は、恒久的現象であり、浸水面積は6県62市町村で561km2。海面よりも低くなった地面の総面積は、震災前の3,4倍に上り、沿岸部の復興の大きな障害となっている。現在でも冠水被害が続いている4県13市町村での緊急課題は排水路整備。
また、冠水したままの場所に沈む下水管の中を通って、海水が内陸に入り込んでいる事実が、最近になって明るみに出た。管を撤去せずには土地が陥没して盛り土工事ができないが、撤去作業は多額の投資を要し、国の補助無しには実現不可能な状態となっている。
地盤沈下と液状化の問題は、東北以外の地域も含めて160の市町村に関わる。被害の大きかった場所では、新たな地震による再液状化を防ぐ為の地盤強化も必要。修復費用は国庫補助の対象とならず、やむなく傾いた家に住み続け、体調を崩している住民も存在する。
巨大地震はこの他にも、北関東から東北東側一帯で、地盤の東方向への移動(最高で74cm)という現象を引起した。

(3)公共インフラ
主なライフラインと公共サービスについては、殆ど本格的な復興段階に移行したと言える。
2012年10月時点での、復興事業の進み具合を平均数字でまとめると、次の様になる。     
¤ 水道施設46%。下水道89%。電気96%。都市ガス86%。LPガス95%。    ¤ 道路は国道97%・その他56%。空港は100%復興しているが、海沿いに走る鉄道は    再開の目処も立っていない路線が多い。
¤ 海岸堤防26%。海岸防災林の再生事業着工率21%。                ¤ 陸揚げ機能が完全に回復した漁港35%。がれき撤去が完了した漁場93%。養殖施設の復興事業着工率77%。
(4)産業の再興
【水産業】 
被災した全漁船数約29.000隻の内47%が再生。被災三県の主要魚市場の水揚げ量回復率は65%。被災した820体の水産加工施設の中で、再開を希望している施設の再開率は66%。インフラ整備の遅れが復旧の地域差を生んでいる。
宮城県では、震災前に稼動していた漁船9.000隻の69%が再稼動にこぎつけ、主な魚市場の水揚げ量も震災前(年間32万トン)の73%まで回復した。
全14.000隻の漁船の70%を失った岩手県でも、漁港と漁業の再生は少しずつ進み、2012年9月には県内13箇所の全ての魚市場が再開した。
だが最も被害の大きかった宮城県では、142在った漁港の全てを再興させる事は資金的に不可能な為、60港を集中的に再編成し、主要水産事業に集約させる「水産特区」制度が県により設定されたが、漁業組合の猛反対に会い、県側の努力にも拘らず、実施が遅れている。  
今までの様に家族単位でただ「漁る」だけだった漁業から、共同で地域の発展に参加する「協業」の形への転換を、時代は漁師達に求めているが、その一方で、震災前から既に指摘されていた漁業就労人口の高齢化に加え、震災後に起こった、被災者の地域転出や他業種への再就職などが原因で、この業界の人手不足の問題も深刻化している。
【農業】 
津波で被災した農地21.500haの復旧率は、被災六県で38%。被災した農業経営体10.200体の内、一部でも再開した率は40%。但しこのデータは2012年7月現在のもので、その後何故か数字は更新されていない。
その他の資料を見ても、農業の復興状況を表わす情報は非常に少ないが、宮城県では、被災した水稲作付け面積19.500haの82%・被災した畜産関連施設1.083件の52%に於いて、再興事業の着工済みというデータが発表されている。同県によるこの分野の復興予想完了時期は、2015年末と設定され、国の予想より現実的になっている。
被災農家では高齢者が多く、自ら営農を続けるか、農地を他者に貸し出すか、農作業を外部に委託するか、の選択を迫られている。中には、既に再建を断念し農地を貸して故郷を離れた人達や、収益性の低い稲作を諦めて野菜栽培に転換した農家もある。
水産業同様、地域農業を再編成し、集団で効率良く農地を活用する「集団営農組織」の構築が求められている。農地は所有と利用を分離して大区画整備を行う一方、安定収益を確保する為に、生産から販売までを一括して行う農業生産法人を設立し、地域の活性化に参加できる様、各種の異なった事業も積極的に取り入れていく構造改革が必要である。
【観光業】
2012年の東北六県の受入れ観光客数は、数字の上では震災前の7‐8割まで回復とされているが、現実には、続く風評被害と被災地の宿泊施設の不足が、復興の足枷となっている。
こうした環境の中で、東北六県が一体となって「魅力的な観光地に恵まれた東北地方に観光客を取り戻そう!」という目標を掲げ、観光客誘致に努めている。
中でも注目される形として、東北の美しい自然や漁業などの産業に体で触れ、現地の人々の生活を体感してもらおうという、滞在型・体験型のエコツーリズムが挙げられる。
例えば被災地の町や村では、民家に宿泊客を迎え、住民が語り部やガイドを買って出て、土地の歴史や被災状況を見聞きしてもらうツアーを、独自に組んでいる所もある。岩手県は、修学旅行やボランティア経験の旅などの教育旅行の誘致に挑戦している。
同時に政府としても、東北と北関東への旅の促進運動や、外国人旅行者とビジネス客を復活更には増加させる為の、海外拠点に於けるPR活動など、様々な対策を講じている。
その一方で、被災した旅館やホテルの中には、廃業を決めた所や、再建の見通しが立てられないままの所が未だに存在し、新規建設も遅れがちで、全体的に宿泊施設の不足を生んでいる。その為、営業中の施設はボランティアや工事関係者で満室となっている場合が多い。
宮城県では、全28箇所の海水浴場の内、2012年8月までに再開にこぎつけた所は一箇所のみ。砂浜が沈んで消滅してしまったり、海底に堆積している瓦礫の状態の調査待ち等が原因で、存続すら危ぶまれている場所も存在する。

分野を問わず、国の大規模な援助と同時に、被災自治体と全国の民間企業との間の連携と協力無しに、真の産業復興は成し得ない。応急復旧期の「提供型」から復興期の長期「協働型」へと、企業の支援参加の形にも変化が見られる。
特に、将来の地域経済の核となり得る中小企業の助成は、絶対不可欠と言える。長年地道に地元の経済を支えて来た中小の自営業者の支援を怠ってはならない。
再興事業の中でも重要な位置を占めるのが自然エネルギーの開発で、民間産業界の協力の下に、地域が主体となって新しいエネルギーを生産してゆく事が、被災地の自立には欠く事ができず、東北での取組みは全国から注目されている。
他方、この地方の主幹産業である農林水産業に於いて、基盤整備の専門家が自治体に欠如しているという事実があり、他県からの派遣公務員の数も足りていない。

(5)復興まちづくりと住居
本来2年間と定められていた仮設住宅の入居期間は、既に1年間延長されているが、恒久住宅の建設が遅れている地域では、2015年春まで更なる1年の延長が予定されている。
仮設住宅などに住む被災者にとって「衣」と「食」はほぼ完全に回復したと言えても、肝心の「住」が再建されない限り、物質的にも精神的にも真の再生はあり得ない。だがその進行状況に関しては、半年前と比較して目立った推移は見られず、全体の把握を可能にする情報も少ない為、ここでは国が考案した被災地の再建策の再度の紹介に重きを置く。
確かに言える事は、地域による格差の拡がりと、復興事業の過程が進むに連れて新しい問題点が出現し、解決すべき課題の山が高くなって行く、という実態である。
住宅の再建と街づくりの遅れは、被災者の暮らしと心に影を落とし、将来の住まいの見通しがはっきりしていない人、どうしたらよいのか分らなくて何の計画も立てられずにいる人が、今でも多数存在する。地域の復興が進んでいないと感じている人は、被災三県で89%、元の場所に戻りたいが戻れない・戻りたくない、と考えている人は63%に上る。
避難先にそのまま定住する意思や希望を持ち始めた人も増加し、被災地の人口流出に拍車を掛けている。例えば岩手県からの避難者の内で、このカテゴリーに入る人は、県内外の避難先を合わせて34%。震災時に住んでいた土地に戻る事をもうこれ以上待てない、という限界まで追い詰められている人は、避難人口全体の30%に及ぶ。
複雑な復興過程の各段階での課題を、ここでもう少し掘り下げて考えてみたいと思う。
¤ 自治体のマンパワー不足 : パワーの需要度が特に高い土地区画整備課は、他県からの多数の応援職員で補強されてはいるが、全体の仕事量が震災前の十数倍に増えている為、例えば、時間のかかる地権者との交渉が大幅に遅れている。過重労働を強いられる職員の中で、精神疾患などにより休職した人は、この2年間で645名を数える。今年に入ってからは、自殺に追い込まれた応援職員が出た。
¤ 各関係者間での見解の相違 : 自治体と住民の間、また住民同志の意見の対立も、頻繁に見られる。中には、合意の取り付けが完全に暗礁に乗り上げている市町村も存在する。
この合意の難しさは、商業地の再建に関しても同様で、例えば、平地での再建を提案する市と、高台に建設される住宅周辺での再建を希望する事業主との意見の対立も、明るみに出ている。浸水地域に於いては、この問題が更に深刻化している。
¤ 被災跡地の利用の難しさ : 各地で見られるこういった例は、被災跡地の利用が如何に困難かという問題を、浮き彫りにしている。集団高台移転が済んだ後の移転促進区域は、「災害危険区域」に指定されるが、産業の場として活かす事は、自治体にとってリスクが大き過ぎる為、住民からの要請が高い「公園」としての活用を計画し申請している所が多い。
跡地の利用方法として唯一適していると考えられる公園建設は、原則として国の復興助成金の対象とされているが、実際に認可を受けるには様々な障壁があり、これまでに予算が成立した例は、申請数全体の19%に過ぎない。
実現できない場合には、住民の域外流出も手伝って、懸念されている「復興の空白化」と呼ばれる現象、即ち「何も無い場所」があちらこちらに生まれる結果を招き兼ねない。

次に、国が策定した被災市町村の再建方法、つまり、復興まちづくりと復興住宅建設・整備を実現させる為に編み出された方法を紹介する。
政府が考え出した方式には、①防災集団移転 ②土地区画整理 ③移転もしくは現地での再建、と公式に呼ばれている、以下の三つが在る。
【防災集団移転】(高台への集団移転)
住民の居住には危険で不適当と国が認定した「移転促進区域」に住んでいた住民を、高台の安全な場所へ集団移転させる方式で、山林を切り開かなければならない場合が多い。被災宅地は公的に買い上げられる。国は24市町村224地区を想定しているが、この内、法定手続きが完了している地区は214。建設予定の住宅数は27.000戸だが、最大の課題は用地の確保。
【土地区画整理】(地盤の嵩上げを基本とした現地での再建)
震災前に在った元の場所に、住宅地や商店街と公共施設を再建させる方式で、殆どの場合、高さ数メートルに及ぶ土地の嵩上げ(盛り土)から始めなければならない。国の試案によれば20市町村57地区が対象とされているが、この内で現在までに法定手続きが済んでいるのは34地区。
【移転もしくは現地での再建】(上の二つの組み合わせ方式)
例えば住宅地だけを高台に移転させ、商店街や公共施設は平地で再建するといった方式。その他の組み合わせも可能とみられる。住宅地を現地で再建させる場合、自主再建できない被災者には、災害公営住宅の割り当てが計画されている。
【「災害公営住宅」の建設または整備】
仮設住宅の使用期間は限られている為、この期間が終了した後も、自力で住宅を確保する力の無い被災者を対象に、彼等が恒久的に住める住宅を、県または市町村が管理して賃貸するという計画。既存の公営住宅だけではとても足りない為、国は2万戸以上の新規建設を予定(宮城県15.000戸、岩手県5.600戸、福島県は未定)。
これには集団移転先の高台に於ける建設と、土地区画整理による平地の両方の場合が考えられるが、新規建設の場合、どちらの場所にも残存する使用可能な土地は少ない為、用地確保には難航が続く。
建設終了目標は2015年とされているが、宮城県に於ける今年1月現在の着工率は28%、2014年末以前の完成の見通しは38%。昨年12月には岩手県で最初の「災害公営住宅」44戸が完成したが(1戸当たりの面積は53平米、家賃18.000円より)、エレベーターが無いなどの不便さが指摘され、入居が滞っている。

(6)雇用の動向
被災三県での延べ求職者数113.000人に対し求人数123.000人。新規の求職者は28.000人と減少傾向にあるのに対し、求人数は47.000人と高水準を保っている。
震災後2012年12月までの就職者の人数も計263.000人を記録し、数字の上では雇用動向は一見改善されている様に見えるが、実際にはこれは現実を反映していず、「震災失業」の状況は、沿岸部を中心に依然として極めて厳しい。
震災後倒産を余儀なくされた企業は2012年10月時点で1.000件を数え、従業員数は24.000人を超える。
震災特別失業手当の給付は、2012年の9月末で終了したが、需給者全体の21%に当る5.600人が、引き続き職を探している。22%に当る6.100人は、職探しを断念した。
半年前にも取り上げたが、上記の数字が現実を反映していない理由は、職種により求人と求職が噛み合っていないミスマッチにある。業種間の賃金格差の問題も、雇用を阻んでいる。
数字が語っていないもう一つの点として、就職した人の現在の仕事への不満度の高さが挙げられる。収入や業種・やり甲斐などの条件に於いて、震災前より満足していない人は56%に達し、この事は復興の遅れを感じさせる大きな要因となっている。また、将来の見通しが立たない為に職を決められずにいる人も、失業・休業中の人口の26%に上る。
国と県はそれぞれに、これ等のミスマッチを解決する為の対策を講じていて、職業訓練の強化と同時に、求職者一人々々のきめ細かい就職支援に力を入れている。
被災地のニーズに合った職創りは今なお緊急課題のままである。「産業の再興」の項でも言及したが、民間企業と地方公共団体との連携・協力を推進し、雇用創出に向けた重点的な努力が行われなければ、東北の復興は実現できない。

(7)被災者の孤立防止と心のケア
私達が特に関心を抱くこの点に関しては、復興庁の資料の内容は、半年前から更新されていない。県や復興支援団体などのサイトにも、新情報は殆ど見当らず、ブログを書く被災者達は、前向きに頑張っている人ばかりで、孤立して沈黙している人々の声は聞こえて来ない。
多くの被災者にとって、震災1年後は、まだ無我夢中で未来に対する夢と希望があったが、それから更に1年が経過した今、立ちはだかる現実の壁の向こう側に、何も見えて来ない。
具体的な指標が示されないまま、不安とストレスばかりが募り、頑張る事の限界と疲労感を感じている人が多数を占める。「もう2年経った」と「まだ2年しか経っていない」の間で感情は複雑化し、個人差も拡がって、一人々々の本音が掴みにくくなって来ている。
入居が抽選で決まる仮設住宅などに移った事により、周りに知合いも無く、新環境に馴染めない老人が孤立したまま孤独死した例は、今年1月現在で確認されているだけでも、被災三県で54名に上る。
例年以上に寒さが厳しく積雪量も殊更多かった今年の冬に入ってからは、青森県で50代の男性2名の孤立死が発見された。市当局による仮設住宅などの見回り活動は、場所によっては2012年4月以降、高齢者と病人に限られていると言われる。
震災と原発事故が原因による自殺者は、2011年だけで61名に達した。1995年の阪神大震災に見舞われた神戸では、震災2年後以降の孤立死と自殺は最近になって1.000名を超えたが、この数字は震災前の6倍に当たり、今も増え続けているという報告がある。
仮設住宅には車椅子や介護用ベッドを入れるスペースも設備も無く、家族5・6人で住めば、思い切り身体を伸ばす事もままならない。
睡眠障害や気分・意欲の低下を訴える人も増え続け、治療薬や飲酒への依存度も高まっている。外出の回数が減り、家族関係の悪化や、中には離婚に至るケースも見られる。
宮城・岩手県では、被災者全体の66%が体調不良を訴えているのに対し、震災以前から既に課題だった、医療施設と医師・看護師不足の状態は、震災後悪化の一途を辿り、極端に過酷な長時間勤務を強いられる医師自身に、健康上のトラブルが発生している現実は、事態の深刻さを窺わせる。
しかし高齢者の数が極めて多い東北では、未来の医療とされる「在宅医療」システムの構築は、最重要の緊急課題と位置づけられねばならない。
今実際にできる事として、国は被災三県115箇所に「介護などのサポート拠点」を設置。各県も「心のケアセンター」や「生活総合相談所」を置いてケアに努めているのと同時に、市町村とボランティア等が共同で、地域単位の支え合い体制作りや、コミュニティの再興支援事業の確立に向けた取組みを行っている。

(8)子供達の支援とケア
私達が気に掛けている被災児達の暮らしについて、個別の情報を得る事は、半年前の時点で既に難しかった。この状況は現在も変わっていないが、私達の会が目指す被災者の長期的支援は、特に子供達に重点を置いている事から、今回も敢えて独立した項を設けた。
「県と国が共同で実施した、被災児童の心身の健康状態や発育状況の調査研究」について半年前に述べたが、待たれる結果は現在も発表されていない。支援活動を行っている様々なボランティア団体からも、全体像が見えるレポートは、私達が知る限り出されていない。
2012年6月の時点で、震災で両親を失った震災孤児は241人、片親を失った震災遺児は1.464人となっている。主としてその生活や就学に掛かる費用を、長期的に経済面で援助する目的の基金は、国内に幾つか存在し、国の助成金を補うべく活発に動いている。
その甲斐があってか、2012年3月に高校を卒業した震災遺児の、大学などへの進学率は80%に達し、震災前の被災三県に於ける全生徒の平均進学率の2倍を記録した。
子供達の目から見た大震災の体験を忘れずに伝えようと、小学生が記録集を作成している学校もある。また、中高校生が、被災者の声を収録して放送したり新聞を発行したりして、被災地の姿を外部に向けて発信する試みを自発的に行っている例も見られる。
被災地ではどこでも、子供達は苦しい日常の中に楽しみを見つけ、前向きに明るい表情を保っているが、外には語らず表には見せない深い心の傷を負っている子も未だ多数いると思われる。

(9)被災者支援活動
一般に言われる被災者支援には、より正確に言うと①被災現地に於ける支援 ②全国に分散している広域避難者の支援 ③被災県の内陸部からの後方支援、の3種類が挙げられる。
それぞれのカテゴリーに於いて、様々な支援の努力が続けられ、国・県・市町村は各々の立場でできる対策を講じてはいるが、多様化するニーズを敏感にキャッチして柔軟に対応し、具体的なきめ細かい支援を被災者に提供していくには、ボランティアの活動が欠かせない。
しかしながら、復興庁に登録されただけでも、2013年1月までに被災三県で117万人に上ったボランティアの数はかなり減少し、現地で活動していた団体の中にも、資金不足や人手不足から、活動停止あるいは解散の道を選ばざるを得ない所が出る時期が来ている。
これは、2年という時の重さが成せる、避け様の無い結果ではあるが、余りにも厖大な規模の被害を受けた被災地の、支援へのニーズと願いは、これとは逆に益々膨らんでいる。
企業や団体そして個人からの義援金の額は大幅に減り、期待していた行政からは見捨てられた思いに、物理的にも精神的にも打ちのめされている幾多の被災者は、今こそ絶大な援助を必要としている。
被災地の中には、今尚、瓦礫撤去・家屋の片付け・海岸清掃などの力仕事に、ボランティアを求めている地域もかなり残る一方で、「これからは自分達も積極的に復興活動に参加していきたい」という被災者の声も聞かれる様になって来た今、一人々々のリズムと気持ちに合わせた、彼等も「受ける」だけでなく「与える」事ができる様な、複合的支援が望まれる。
海外からの応援も、今後益々その価値を高めていくに違いない。形や量を問わず、物心両面からの強力な援助は、被災者のみならず、国内で支援活動に当る人々にとっても、どれだけ大きな勇気と励ましをもたらしている事か!その事を伝える彼等自身の証言と感謝の言葉が、Solidarité Japon 34の活動を通して、私達の許にも直接届いている。
「私達を見捨てないで!忘れないで!」被災者のこの叫びに応える責任と義務が、私達一人々々に課されていると考える。因みに「今いちばん自分の心の支えになっているのは、ボランティアや被災地外の人達からの支援」と感じている人は、東北全体で5%に上る。

福島県の状況
人的被害 : 死者3.182人、行方不明者5人、負傷者182人、震災関連死1.121人
被災家屋 : 全壊 21.100戸、半壊 72.900戸、一部損壊 166.200戸 
避難者 : 原発周辺の避難指示区域等から 109.000人、県全体で 154.000人 (この内、県内への避難者97.000人 県外への避難者57.000人) 県外に転校した18歳未満の児童 : 16.970人 (いずれも2013年2月15日現在)
福島第一原子力発電所を有する福島県は、地震と津波の被害が三番目に大きかった事により「被災三県」の一つになっている。
沿岸部は津波で壊滅的な被害を受けた事に加え、その直撃を受けて、複数の原子炉が爆発事故を起こした発電所からの、多量の放射能の漏洩と拡散によって、周辺部の住民は直ちに避難する事を余儀なくされた。
この三つの同時災害(二つの天災と一つの人災)が原因で、他の被災県とは異なった、過去に例の無い、極めて特殊で極めて困難な状況に福島県は置かれている。
福島第一原発に於ける大小様々な事故と、放射能の漏洩と拡散は現在も続き、本格的な復旧作業には殆ど手が着けられていない。明日またどんな事故が起きるとも知れず、問題の完決までに何十年の歳月が必要なのか、誰にも判っていない。
政府は2012年3月に、発災後5年間の予想年間被曝放射線量に応じて、原発周辺地域の再編成を行い、その結果次の3種類の区域が新たに指定された。これに当初からの区分の「警戒区域」と「計画的避難区域」を加えると、合計で5種類の区域が現存する。これ等の区分けの内容は非常に複雑で明快さを欠く為、公式文書の表現をそのまま引用するに留める。                             
【避難指示解除準備区域】(予想線量の安定的低下が見込まれ、早期帰還を目指す区域)                  【居住制限区域】(線量低下までに数年が掛かる見通しで、避難の継続が求められる区域)                【帰還困難区域】(5年以降も尚、規定の線量以下にならない恐れのある区域)
一方で県としては、福島県全域を5つの地域に分けた復興計画を2011年12月に作成し、以降10年間を目標に、地域毎の具体的な政策とその主要事業を発表した。
本格的復興が始まった他の被災県の隣りで、応急復旧にすら未だに着手できない状態の原発周辺区域を抱える福島県。その複雑な現状と再興上の課題を正しく理解するのは容易ではない。行政からの情報は明確さを欠き、メディアの関心は益々原発問題に偏っていく。
それでも、上に見て来た福島県以外の被災地の復興項目の順序に沿って、可能な範囲で理解を試みてみたいと思う(数字は特記が無い限り2012年12月末現在のもの)。
(1)津波による災害廃棄物
推定発生量367万トン、仮置き場への搬入率60%、処理率30%。
(2)除染 
【対象地域】被曝放射線量によって、政府は次の2種の地域を指定している。
¤ 除染特別地域 (国の直轄地域) : 原発周辺の「警戒区域」及び「計画的避難区域」などの11市町村が対象で、国が直接に除染を担当。 ¤ 汚染状況重点調査地域 (非直轄地域) :8県101市町村が対象で、除染作業は市町村が行う。費用は国が負担。
【実施状況】直轄地域では、6市町村で本格除染作業が開始、2町村では計画策定が未完。非直轄地域では、除染計画の策定を終えた市町村46箇所、策定準備中が52箇所と公表されているが、実際には全対象戸数179.186戸の内、20%で初期作業が終了した模様。
原発周辺以外の地域も含めて、実施手段が極めて稚拙で不充分であるばかりでなく、現在行われているのは、主として人家と学校などの建物・施設が在る部分に限られ、農地や汚染度の高い山林などの除染は殆ど進んでいない。また、下請け業者の不手際も指摘されている。
(3)除染後の汚染廃棄物の行方
取り除かれた土や草木は、3年間の予定で先ず「仮置き場」に保管されるとされているが、現在の正確な保管状況は不明。その後「中間貯蔵施設」に搬出される計画だが、用地確保は困難をきたし、施設の建設は1件も始まっていない。
(4)インフラ・公共サービス復旧状況
道路・海岸・鉄道などの復旧率は地域により0%‐51%。学校(県立)の再開率87%。医療・福祉施設の再開率は0%‐79%。その他については不明。
(5)産業
【農業】(最重要産業)被災した農地面積5.927haの内、営農再開が可能になった広さは9%。被災した農業事業者の中で、営農再開が一部でも可能となったのは56%。
他の被災県で、第一次産業(水産業・農業)復興のニュースが目に付く中、福島県の農業は、放射能との闘いの中で、暗中模索を続けている。
農地の除染と消費者に対する安全の保証の徹底と共に、生産段階での研究と開発が再生の重要な鍵を握る。学術分野の協力を仰ぎ、科学の英知を結集して、例えば、放射性セシウムを土壌から吸い上げにくい、きゅうりやキャベツなどの野菜の集中栽培、といった工夫が強く求められる。
【漁業】震災前の全漁船数1.173隻の内、稼動可能率は53%。
その他の産業についてはデータが無く不明だが、広範囲の産業の復興の足枷の一つになっているのが、根強く残る風評被害である。この問題の解決には、事業者単位だけでなく、国と自治体が連携して、正確な放射能情報を発信し、農林水産物・工業製品・工芸品などの販路開拓や観光事業の振興に向けて、一層の努力を払わねばならない。
その一方、復興・再生に留まらず、原発後の未来に向けた研究開発と新産業の創造が試みられている。中でも、再生可能エネルギーの開発事業には、大きな期待が寄せられている。
(6)住居とコミュニティーの再興
【住居】新設プレハブ仮設住宅の完成戸数は16.760戸で、要請戸数全体の95%に当る。みなし仮設住宅の整備戸数は24.876戸で、双方を合わせて93.000人が入居している。「復興公営住宅」などの建設・整備は殆ど始まっていない。
【コミュニティー再興】国によって指定された5つの区域のいずれに該当しようと、原発周辺の市町村にとって、帰還についての決定を下すのは簡単な事ではない。住民の多くが県外に避難している為、状況の説明と意見の聴取を行うだけにでも困難が伴う上、世代や利害の異なる住民間の意見をまとめるのは更に難しい。    
帰還困難区域に指定され、最低5年間は元の場所に戻れない町の幾つかは、県内の他の自治体に町毎移動して「仮の町」を設置し、「町外コミュニティ」を創る計画を立てている。
(7)雇用
緊急雇用実績は17.604人で2012年度の雇用創出計画数の63%と発表されているが、計画の内容は不明。
(8)避難者のケア
避難者は県内と全国に分散しているが、彼等の暮らしやケアに関するデータや情報量は極めて少ない。
原発周辺の住民は、政府の区域指定と避難計画に翻弄され、出口の見えない不安とストレスに憔悴して、避難先で心身の不調を訴える人が増している。一方、その中の居住可能地域では、増える入院患者を前に医師・看護師不足が続き、地域医療は崩壊の危機に晒されている。
他方、住んでいた町から自発的に移転した「自主避難者」には国庫補助が出ない。県内で仕事を続ける夫と離れて、妻子は県外で暮らすのがその典型的な形で、生活費が二重に掛かるばかりでなく、周囲の無理解や孤独感に苦しむ事が多い。
復興の見通しが一向に立たず、将来の生活設計が立てられない事から、帰還を諦める被災者も増え続けている。また避難者でなくても、被曝の恐怖から故郷を捨てて県外に転出する県民も多く、この異常な事態と過酷な日常の現実に、福島県民全体が、やり場の無い怒りと苦悩を胸に毎日を生きている。
状況の改善が全く見えず、逆に悪化していく事に絶望し、県内または付近の県に避難している県民の76%が、体調不良に陥っている。この率は他の被災三県より10ポイントも高い。
(9)子供達の支援
国と県は、特に子供達に配慮した、被災者の生活支援とケアの為の措置を取っている。県民全員の生涯に亘る健康管理調査も始まった。
18歳以下の児童の甲状腺検査も開始され、昨年11月末までに、36%が実施された。その結果、検査を受けた95.954人の40%に、大きさの差はあれ、結節が発見された。 
(10)支援活動
被災者の避難先での生活支援や除染作業の手伝い、あるいは復興事業全般での援助など、福島県は他の被災県にも増して、ボランティアの助けを必要としている。被災地域の自治体の多くは、独自にボランティアセンターを設け、直接の受入れを行う。

この様に、福島県の人々の日常は非常に特殊でことのほか厳しい。しかし現地に行けば、混乱と戸惑いの中から小さな希望を見つけ、この苦境を乗越えて前向きに進んで行こう、という空気が感じられ、子供達の明るい笑顔がそこここに溢れている。
終わりに
『あの未曾有の大震災。超大規模の三つの災害に同時に襲われた美しい東北地方。今、被災地では何が起こっているのだろう? 被災者は何を思い、何を必要としているのだろう?』
その大震災から1年半を経た2012年9月、即ち今から半年前に、私達はこの問いを私達自身に投げ掛けた。
その時既に、この問いへの正確な答を見つけるのは難しいと感じた。その原因は、私達が日本から遠く離れているからという『距離』ではなく、「去る者は日々に疎し」の諺通りの『時間』だった。
その時既に、日本の中でも、震災の記憶は少しずつ消えて行き、被災地への関心は確実に薄れて行っていた。ならば、半年の時間は、更に半年分の記憶と関心を、人々から奪って去って行ったのは当然であろう。
冒頭に記した通り、被災地の様子を伝える報道は、この1年間で大幅に減り、取り上げられる話題は、福島第一原発の事故処理か、現政府が目指すその他の原発の再稼動を、地震リスクの観点からのみ見たものが多い。もはや日本社会一般の意識は、この国が抱える原子力の真の問題や、日本国民に課された人類としての責任から遠ざかり、福島の人々の運命からさえも他人事の様に離れて行っている、という印象を受ける。
しかし現実には、行政の復旧作業がカバーし切れなかった「取り残された被災地」が今尚無数に残り、復興が遅れる中で高齢化はどんどん進んで行く。
小さな町や村の、枯草の生える荒れ果てた住宅跡地にしゃがみ込み、今は瓦礫となった崩壊した自宅の残骸を、一つ々々手で拾い集める、年老いた住民の女性達。
「仮設での毎日は、全てを失った悲しみと悔しさを吞み込んだ、表面は静かな暮らし」と、不平不満も言わずに、何とか今の生活に慣れようとする、一人暮らしの老人の痛々しい姿。
この人々をどうして忘れる事ができるだろうか。せっかくあの大津波を生き残った「命」。仮住まいでない自分の家にもう一度住める日が来るまで、そして生き甲斐と生きる喜びを再び取り戻せる日が来るまで、辛くてもどうか生き伸びて欲しい、と祈らずにはいられない。
「形に見える行動を起こす事だけが支援ではない。知るという支援、想うという支援があると信じる」と半年前に書いた。Solidarité Japon 34 が抱くその思いは今も変わっていない。
復興の長い道のりを、これからも被災者と並んで歩んで行く為には、支援する私達も、支援疲れをしない様に、焦らず私達のペースで一歩々々進んで行かねばならない。
震災からちょうど2年後のこの機会に、海外に住む日本人の間でも、各地で反原発運動ばかりが目立っているが、私達は継続する事の重要さを忘れずに、私達にできる事を地道に続けて行けたら、と願うものである。
被災地の高校生が、年の初めに笑顔で言った言葉が耳に残っている。         
「頑張る頑張ろうよりも、大切なのは諦めない事!」

東日本大震災から一年半、被災地の今
2012年9月11日
2011年3月11日のあの未曾有の大震災からちょうど一年半。多くの変化が起きた一年目に比べ、二年目の今年に入って目に見える変化は少なくなった。
極めて特殊な状況に置かれている福島県を除く被災地では、地震・津波災害の一連の応急的な復旧作業が一段落し、本格的な復興がこれから始まろうとしている。
存在を支えていた根本を失った悲嘆からようやく立ち直り始め、再出発を決意した被災者達、住み慣れた故郷にいつ戻れるか判らないまま、過酷な暮らしを強いられ続けている避難者達は、行政の行動の遅さに苛立ち、進まない復興と生活環境の改善に、落胆と不安を隠せない。
しかし初めの一年間には、それ以前の大震災とは比較にならない広範囲の対応が、行政側には課されていた。その義務は今後も変わらないが、最低10年の覚悟で、復旧から復興への踊り場に今立っている被災地の状況を、私達が理解できた範囲で、以下に紹介していきたい。
一口に状況と言っても、福島県の現状とそれ以外の被災県の現状とは異なる。混乱を避ける為、ここでは先ず福島県を除く被災県、つまり災害の主原因が津波だった被災地から始め、その後に福島県に移り、最後に全体のまとめで終えたいと思う。
但し記載されている数字は、特記されている場合を除き、被災地全体を示している。

*復興庁公式データ(2012年8月31日現在)
被災県数 : 11県                                (この内、地震・津波の被害度の最も高かった宮城県・岩手県・福島県を被災三県と呼ぶ)
人的被害 : 死者15.868人、行方不明者2.846人、負傷者6.109人、
被災家屋 : 全壊129.000戸、半壊264.000戸、一部損壊726.000戸
復興庁は政府内に震災後間も無く設立されたが、一年間は、主に新規法律の作成と既存法律の整備や予算の算出に費やされ、復興推進委員会の第一回会議の開催は2012年3月。復興交付金の第一弾は2012年3月、第二弾は5月、第三弾は8月に交付配分された。交付は今後も随時行われる予定。「住宅の再建」と「産業の復興」を二本柱とする。
次に復旧・復興の現状と課題を拾って取上げる。(1)災害廃棄物の処理(2)地盤沈下 (3)インフラ(4)産業分野(5)町づくりと住居 (6)雇用(7)被災者のケア(8)子供達の支援(9)支援活動 と便宜上分類したが、これは重要度の順番ではない。相互に関わ り合った、いずれもが重要な問題点であり、平行して解決されていかなければならない。
数字は復興庁と各県が公表したデータに基づくが、これ等の数字は生きた情報とは言えない。補足の文章は、数字が語らない実情を少しでも伝えられればと願って記したものである。
*復旧・復興の現状と課題
避難者 : 330.000人(本年8月末現在)、470.000人(震災直後)  この内、   県外へ避難している人 : 岩手県1.600人、宮城県8.400人、福島県61.000人
新設プレハブ仮設住宅 : 完成戸数53.000戸 入居戸数48.700戸         みなし仮設住宅(県が借り上げて被災者に提供する公営・私営賃貸住宅):82.800戸
この他に、自主的にアパートを借りて住んだり、親戚宅等に仮住まいしている被災者も存 在するが、正確な人数は把握されていない。

(1)災害廃棄物(瓦礫)と津波堆積物の処理
被災三県での推計量 : 2.760万トン(災害廃棄物1.800万トン、津波堆積物960万トン)  この内、撤去済 2.010万トン、処理済641万トン      
国は最大限を被災地内で処理したい意向で、仮設焼却炉の設置と、セメント工場や製紙工場などでの瓦礫の再生利用が始まっている。
瓦礫には可燃性と不燃性があるが、特に不燃性の物と津波堆積物との処理が遅れている。
被災地内処理できない推定169万トンについては広域処理が必要で、国は都道府県に受入れ協力を要請しているが、受入れ先が確保できているのは23%。福島県外の廃棄物であるにも拘らず、放射能汚染を恐れる住民の反対が強く、多くの県で受入れを渋っている。

(2)地盤の沈下と液状化
大地震による大規模な地盤沈下は、恒久的な現象であり、海面よりも低くなった地面の総面積は、震災前の3,4倍に上り、沿岸部の復興の大きな障害となっている。
地盤沈下と液状化の問題は、東北以外の地域も含めて160に及ぶ市町村に関わり、被害の大きかった場所では、修復に加え、新たな地震による再液状化を防ぐ為の地盤強化が不可欠だが、巨額の資金を必要とする工事は遅れ、若者を中心に町を去る住民も増えている。

(3)インフラの応急的復旧
公共インフラの応急的な復旧率はまちまち。水道・電気・ガスなどの主ライフラインはほぼ完全に復旧している。沿岸部の道路の復旧率は高いが、海沿いに走る鉄道は再開の目処も立っていない路線が多い。空港は100%復旧。海岸堤防20%。港湾機能78%。陸揚げ機能が完全に回復した漁港34%。がれき撤去が完了した漁場85%。
公共サービス(通信・郵便・病院・学校など)の復旧率は80%から100%。
(4)産業の再興
【水産業】 
水揚げ量復旧率は69%。水産加工施設(被災三県で759箇所)の中で再開を希望している施設の再開率は55%。
全14.000隻の漁船の70%を失った岩手県では、漁港の復旧と漁業の復興は少しずつ進み、今年9月に入って県内13箇所の全ての魚市場が再開した。
これに比べ、最も被害の大きかった宮城県では、142在った漁港の全てを復興させる事は資金的に不可能な為、60港を集中的に再編成し、主要水産事業に集約させる「水産特区」制度が県により設定された。
この制度は、伝統的に漁場を管理し守ってきた漁業組合に独占的に与えられていた漁業権を、一般企業にも開放する事により再興を促進させる事を狙うものだが、利益優先の過当競争と秩序の崩壊を恐れる組合側の猛反対に会い、県側の努力にも拘らず、実施が遅れている。  
しかしこの問題は東北に限らず、漁業就労人口の高齢化が進み、震災前から既に衰退が始まっていた、日本の水産業全体の明日の在り方を問う重大問題と言う事ができる。
今までの様に家族単位でただ「漁る」だけだった漁業から、共同で地域の発展に参加する「協業」の形への転換を、時代は漁師達に求めている。
実際に、例えば漁業区域を拡大して共同水産加工施設の建設に踏み切ったり、共同で漁業生産組合を結成し、個々の漁区に代わる共同漁区を設定して、漁獲に始まり小売店や消費者に直接販売を行うまでの、一貫した新しいビジネスの形を学び出した例も見られる。
【農業】 
被災六県で津波被災農地21.500ヘクタールの復旧率は38%。津波で被災した農業経営体10.200体の内、一部でも再開した経営体の率は40%。
田畑からの泥の撤去や海水の排除とその後の洗浄には、多くの時間と費用が掛かり、作付け可能な農地面積は、現在でも震災前の半分以下に留まっている。
被災農家では高齢者が多く、自ら営農を続けるか、農地を他者に貸し出すか、農作業を外部に委託するか、の選択を迫られている。中には、既に再建を断念し農地を貸して故郷を離れた人達や、収益性の低い稲作を諦めて野菜栽培に転換した農家もある。
しかしこの分野でも、津波から生き残り現地に留まった農業従事者が力を合わせ、ピンチをチャンスに変えて、新しい形の「儲かるカッコイイ農業」を創り出す事ができるか否かが、再生の鍵を握っている。
水産業同様、地域農業を再編成し、集団で効率良く農地を活用する「集団営農組織」の構築が求められている。農地は所有と利用を分離して大区画整備を行う一方、安定収益を確保する為に、生産から販売までを一括して行う農業生産法人を設立し、地域の活性化に参加できる様、各種の異なった事業も積極的に取り入れていく構造改革が必要である。
同時に、栽培方式の面でも新しいスタイルが模索され、例えば、土を使わずにビニールハウスの中で水だけで野菜を栽培する「植物工場」の試み等が始まっている。この水耕栽培の利点は、年に数回の安定した計画栽培が可能な事と、その為全国への販売路を前以って確保できるところにある。しかし多額の立上げ資金が要る為、行政の援助が不可欠となっている。
この水耕栽培は、既に被災沿岸部の20箇所以上で実施または検討中で、放射能の影響が無い事から、福島県では未来を担う農業の形として、奨励している自治体もある。
【鉱工業】 
全体的に回復してはいるが、沿岸部の生産設備の被害が著しい宮城県に遅れが見られる。
例えば造船業では、被災した多くの造船所が操業再開にまでこぎつけているが、建て直しを急いで、地盤が沈下している元の場所で再開した所は、冠水によって作業が中断する時間帯があり、生産能力が震災前に比べて30%から50%落ちてしまった。
将来を見据えた創造的な復興を目指し、他地域の業者と共同で沈下していない場所に造船団地を建設し、造船以外の業務にもグローバルに挑む計画も出ているが、これも巨額の資金を必要とする為、国に対して援助が申請されている。
【観光業】 
震災一年後の観光収入を震災前と比較すると、東北全六県で15%の減少。全国で8%の減少という数字が把握されている。
東北六県が一つとなって「魅力的な観光地に恵まれた東北地方に観光客を取り戻そう!」という目標を掲げ、「東北観光博」を東京で開催する等の努力を行っている。県単位でも例えば岩手県は、修学旅行やボランティア経験の旅などの教育旅行の誘致に挑戦している。
また被災地の町や村では、住民が語り部やガイドを買って出て、土地の歴史や被災状況を観光客に見聞きしてもらうツアーを独自に組んで、成功している例も見られる。
その一方で、被災した旅館やホテルの中には、やむなく廃業を決めた所や、再建の見通しが立てられないままの所が多数で、新規建設も遅れ、全体的に宿泊施設が圧倒的に不足している。その為、営業中の施設はボランティアや工事関係者で満室となっている場合が多い。
宮城県では、全28箇所の海水浴場の内、この8月までに再開にこぎつけた所は一箇所のみ。砂浜が沈んで消滅してしまったり、海底に堆積している瓦礫の状態の調査待ち等が原因で、存続すら危ぶまれている場所も存在する。

産業分野を問わず、長年地道に地元の経済を支えて来た中小の自営業者の支援を怠ってはならない。国と県との連携の下で、自力での再興に苦しむ事業主の援助や、将来の地域経済の核となり得る中小企業の助成が行なわれる事が強く期待されている。

(5)復興まちづくりと住居
被災した市町村の再建方法として、政府は次の三つの方式を編み出した。①防災集団移転 ②土地区画整理 ③移転もしくは現地での再建、と彼等は公式に呼んでいる。
各市町村が住民との協議を重ねた上、どの方式を選択するかを独自に決めて計画を立てるが、住民は域外各地に分散して避難している場合が多い為、連絡を取る事だけでも困難が伴い、また住民間での意見の対立も頻繁で、協議さえ終わっていない自治体が多数ある。
いずれの方式を採るにせよ、今回の大震災からの復興は、単に壊れた町や港を創り直すという事ではなく、根底から崩壊した地域の社会組織全体を根本的に改造する事を意味し、山積する前代未門の問題点を一つずつ解決しながら進んで行かなければならない。
【防災集団移転】(高台への集団移転)
住民の居住には危険で不適当と国が認定した「移転促進区域」に住んでいた住民を、高台の安全な場所へ集団移転させる方式で、山林を切り開かなければならない場合が多い。被災宅地は公的に買い上げられる。国は24市町村245地区を想定。最大の課題は用地の確保。
【土地区画整理】(地盤の嵩上げを基本とした現地での再建)
震災前に在った元の場所に、住宅地や商店街と公共施設を再建させる方式で、殆どの場合、高さ数メートルに及ぶ土地の嵩上げ(盛り土)から始めなければならない。国の想定によると20市町村58地区が対象。
【移転もしくは現地での再建】(上の二つの組み合わせ方式)
例えば住宅地だけを高台に移転させ、商店街や公共施設は平地で再建するといった方式。その他の組み合わせも可能とみられる。住宅地を現地で再建させる場合、自主再建できない被災者には、災害公営住宅の割り当てが計画されている。
【「災害公営住宅」の建設または整備】
仮設住宅の使用期間は限られている(当初の計画では二年。宮城県は同期間を一年延長した)為、この期間が終了した後も、自力で住宅を確保する力の無い被災者を対象に、彼等が恒久的に住める住宅を、県または市町村が管理して賃貸するという計画。既存の公営住宅だけではとても足りない為、国は23.000戸の新規建設を予定している。
これには集団移転先の高台と、土地区画整理による平地の両方の場合が考えられるが、新規建設の場合、どちらの場所にも残存する使用可能な土地は少ない為、用地確保の目処は殆ど立っていない。建設終了目標は2015年だが、現在までの完成済みは僅かに12戸。
【移転跡地の使用法】
集団高台移転が済んだ後の移転促進区域は、「災害危険区域」に指定される。この区域内には、漁業関係施設と水産加工施設に限って建設が可能だが、例外的に、津波に対する一定の構造耐力を有する建物の建設も許可される、とされている。これには公共用地と災害公営住宅の建設も含まれる他、民間事業者への地所の売却も予定されている模様。
将来の津波の危険があっても尚、代々住み続けてきた場所にもう一度戻って度住みたいお年寄りがいる一方で、道路一本の差で移転促進区域から外された区域に住んでいた住民は、他所に移りたくても、元の場所での再建を強いられている。自力で他所に移転する場合には国の援助金の対象にならない。しかし、例えば最も被害が大きかった石巻市では、自宅全壊者の66%がこのカテゴリーに入り、市独自の援助も資金的に不可能な状態となっている。
加えて平地では、土地の嵩上げだけでなく、道路・海岸・防潮堤などの復興工事に使用する為の土砂の大幅な不足が、来年度以降予測されている。宮城県だけでも推定不足量は4万立法メートルに上り、更なる復興の遅れが懸念される。
これから始まる本格的な超大規模の復興工事を前に、建設業界は、技術者の不足・労賃の上昇・就労者の宿泊場所不足などの困難な問題を抱えていて、ここでも国と県による強力な援助が期待されている。

(6)雇用の動向
第二の被災とも言われる「震災失業」の状況は、沿岸部を中心に依然として極めて厳しい。数字の上では労働力の需要と供給は一見改善されている様に見えるが(被災三県で求職者数11.800人に対し求人数12.600人)、これは現実を反映していない。
失業手当の給付期間が終了した人は、今年7月現在、被災三県で17.300名に及ぶが、この内の65%にはその後も職が見付かっていない。現受給者約1万人の全員に対し、9月で至急が打ち切られる予定となっている。
【職種により求人と求職がかみ合っていないミスマッチ】
土木・建設分野では求人数が増えているが、肉体労働は中高年層や女性には適さず、求職数は半分以下に留まっている一方で、食品製造業や事務職では大幅な求人不足に陥っている。また地元の主要産業に於いて、全体的に女性の就職需要が著しく満たされていない。
他方、雇用者側にも長期雇用を保障できる条件が揃っていない場合が多く、正社員の求人率が極めて低い為、安定した職を求める被災者のニーズとここでもマッチしていない。
職を求めて地元を離れる被災者は若者を中心に後を絶たず、被災地のニーズに合った職創りが緊急課題となっている。民間企業と地方公共団体との協力の下、雇用創出に向けた重点的な努力が強く求められている。
同時に、ミスマッチを解消する為には、これまで日本で制度として確立されていなかった職業訓練の導入も必要である。また求職者一人々々のきめ細かい就職支援が待たれる。

(7)被災者の孤立防止と心のケア
行政の対応が遅れ続け、復興が思う様に進まず、一日も早く生活を再建したくても、立ちはだかる壁が余りにも厚い為、被災者達には自ずと焦燥が募っていく。
いつまで経っても職が見付からず、絶望の余りうつ状態やアルコール依存に陥ったり、家庭内暴力に走ったりする働き盛りの層。生き甲斐を失い、次第に孤立して死を待つばかりのお年寄り。現状は決して明るくない。
震災後数ヶ月の間、避難所生活での肉体的・精神的疲労やストレスが原因で亡くなる被災者が出た。その後、入居が抽選で決まる仮設住宅などに移った事により、老人が新環境に馴染めずに孤立したまま孤独死したり、自ら命を絶つ事態が生じてしまっている。
震災と原発事故が原因による自殺は、2011年だけで61名に上る。また1995年の阪神大震災に於いては、震災2年後以降に孤独死が増加したという記録がある。
仮設住宅周辺には、商店街や学校・図書館・住民の憩いの場など少しずつ建設されている所もあるが、市街地から離れた高台の辺鄙な場所に建てられている場合には特に不便が多い。また全体的に医療施設や医師が不足している。
仮設住宅居住者には心身の不調や睡眠障害を訴える人も多く、高齢者・障害者・若年失業者を中心とした介護サポートや訪問診療、見守り活動の一層の強化が求められる。
更には、震災が原因で新たに身体障害者となったり、重度の精神障害に陥った「震災障害者」も存在し、彼等に対する国単位の特別保護制度の確立が望まれる。
一方、同じく震災が原因の過労死や過労自殺も発生している。職が見付かっても、不適当な職種や仕事場に馴染めなっかたり、再建を急ぐ余り雇用者が過重労働を強いる傾向にあり、せっかく大震災を生き延びた命が働く事により失われる、という悲劇が起きている。
家族が行方不明の状態のままの被災者の心の傷は、なかなか癒えない。未だに諦め切れずに、前に一歩を踏み出せない人も多い。2.846名の行方不明者の捜索は今も続いている。他方、警察の懸命な努力にも拘らず、身元の確認できていない遺体もかなり残る。
政府の支援対策に加え、各県が「心のケアセンター」や「生活総合相談所」開設などの政策を組んでケアに努めているが、同時に市町村とボランティア等が共同で、地域単位の支え合い体制作りや、コミュニティの再興支援事業の確立に向けて、各地で試行を始めている。

(8)子供達の支援とケア
2012年6月末現在、震災で両親を失った震災孤児は241人、片親を失った震災遺児は1.464人となっている。主としてその生活や就学に掛かる費用を長期的に経済面で援助する目的の基金や団体は、国内に幾つか存在し、国の助成金を補うべく活発に活動している。
しかし、私達が特に気に掛けている孤児・遺児達の暮らしの現状(どこで誰とどの様な毎日を送っているのか)や、現在の思い・悩み等を伝える情報は、今のところ残念ながら入手する事ができなかった。
被災地ではどこでも、子供達の元気な笑顔や前向きの姿勢が大人達を慰め勇気付けているが、外には語らず見せない深い心の傷を負っている子も数多いと考えられる。
被災した子供達一般の支援と心のケアについては、ボランティア団体などの活動と平行して、政府と地方自治体がそれぞれに政策を立てて力を入れている。また心身の健康状態や発育状況の調査研究を、県と国が共同で実施していて、結果の発表が待たれている。
伝統的に精神療法や心理医学が浸透していない日本社会での、子供支援の専門職の育成も緊急課題の一つと言える。

(9)被災者支援活動
一般に言われる被災者支援には、より正確に言うと①被災現地に於ける支援 ②全国に分散している広域避難者の支援 ③被災県の内陸部からの後方支援、の三種類が挙げられる。
震災後一年半が経過して、被災者の生活環境が変化している中、支援を行う側にも、その時々の被災者のニーズに対応できる体制づくりが必要不可欠である。
現地支援はプレハブ仮設住宅に住む被災者に集中し、みなし仮設住宅の居住者は、その数がより多いにも拘らず、行政からの情報や支援が届きにくく孤立しがちだ。また独自に避難したり自宅に帰った被災者は、自立したと見做されて国の援助の対象にならない、といった不公平も生じている。これ等の点も早急に是正されなければならない。
国・県・市町村はそれぞれの立場でできる対策を講じてはいるが、多様化するニーズを敏感にキャッチして柔軟に対応し、具体的なきめ細かい支援を被災者に提供していくには、ボランティアの活動が欠かせない。
震災直後に比べればその数は大幅に減ってはいるが、復興庁に登録されたボランティアの総数は、今年7月末までに、被災三県で106万人に上っている。この他に、小規模のNPO等を通して、あるいは独自に活動しているボランティアも相当数存在するものとみられる。
支援そのものの内容も、発災当初の肉体活動から、被災者の生活援助と心のケア、街とコミュニティ作りの補佐、漁業や農業の復興の手助けといった、地道で長期的な取り組みに変化して来ている。
復興に携わる団体と個人全体の横の繋がりを作り、効率良い連携活動を促進する目的の、全国規模のプライベート・ネットワークも作られている。
一方、インターネットを活用して、全国どこからでも誰でも、自宅に居ながらできる支援のシステムを考案し、利用者を増やしているグループや個人もある。
海外からの支援の現状は把握できないが、量や形を問わず、物心両面からの力強い援助は、被災者のみならず国内で支援活動に当る人達にも、大きな勇気と励ましを贈り続けている。
他方、大規模な復興に伴う幅広いニーズに対して有益に行動するには、ボランティアも含めた多様な担い手が、一致協力して取り組んでいく必要がある。国は、被災自治体と公共関連機関に民間NPOなども含めた、全ての関係者に情報を提供し、これ等の異なる組織間の連絡の調整を行うと同時に、ボランティアの普及にも努める為の政策を打ち出している。
福島県の状況
人的被害 : 死者 2.870人、 行方不明者 5人、 負傷者 20人                 被災家屋 : 全壊 20.800戸、半壊 71.000戸、一部損壊 160.700戸                             避難者 : 原発周辺の避難指示区域等から 111.000人、県全体で162.000人       (この内、県内への避難者101.000人 県外への避難者61.000人)                         県外に転校した児童 : 12.300人         (いずれも2012年8月末現在)

福島第一原子力発電所を有する福島県は、地震と津波の被害が三番目に大きかった事により「被災三県」の一つになっている。
沿岸部は津波で壊滅的な被害を受けた事に加え、海辺に建てられていた為に津波の直撃を受け、複数の原子炉が爆発事故を起こした発電所からの、多量の放射能の漏洩と拡散によって、周辺部の住民は直ちに避難する事を余儀なくされた。
この三つの同時災害(二つの天災と一つの人災)が原因で、他の被災県とは異なった、過去に例の無い、極めて特殊で極めて困難な状況に福島県は置かれている。
政府の事故収束宣言とは裏腹に、福島第一原発に於ける大小様々な事故と、放射能の漏洩と拡散は現在も続き、本格的な復旧工事には殆ど手が着けられていない。明日またどんな事故が起きるとも知れず、問題の完決までに何十年の歳月が必要なのか、誰にも判っていない。東京電力は事態のコントロールを完全に失っている。
政府は今年3月に、発災後5年間の予想年間被曝放射線量に応じて、原発周辺地域の再編成を行い、その結果次の三種類の区域が新たに指定された。これに当初からの区分の「警戒区域」と「計画的避難区域」を加えると、合計で五種類の区域が現存する。これ等の区分けの内容は非常に複雑で明快さを欠く為、公式文書の表現をそのまま引用するに留める。                             
【避難指示解除準備区域】(予想線量の安定的低下が見込まれ、早期帰還を目指す区域)                  【居住制限区域】(線量低下までに数年が掛かる見通しで、避難の継続が求められる区域)                【帰還困難区域】(5年以降も尚、規定の線量以下にならない恐れのある区域)
一方で県としては、福島県全域を五つの地域に分けた復興計画を2011年12月に作成し、以降10年間を目標に、地域毎の具体的な政策とその主要事業を発表した。
県を構成する全59の市町村は、各々が先ず復興ビジョンを、次に復興計画を策定する様に県より指示されているが、今年8月末までに計画の策定を終えた所は28に留まっている。
原発周辺の市町村にとって、帰還についての決断を下すのは容易な事ではない。住民の多くが県外に避難している為、状況の説明と意見の聴取を行うだけでも困難が伴う上、世代や利害の異なる住民間の意見をまとめるのは更に難しい。
中でも最も悲劇的なのは、予想積算放射線量の違いから、一つの自治体が上記の数種の異なる区域に分断されてしまったケース。帰還の判断の基準となる主な条件、インフラ整備・除染・東京電力による賠償のいずれも進行していないのが現状である。
【インフラ整備】 沿岸部は震災直後のままの状態。道路や橋や上下水道は崩壊し、手付かずの瓦礫の間に半壊した建物が残る。放射能を浴びた瓦礫の処理は、他の被災県よりも更に難題となっている。国の方針である県内での仮設焼却炉の設置先も、焼却灰の処分先も全く決まっていない。浸水したままの土地では、排水作業から始めなければならない。
【除染】 原発周辺以外の地域も含めて、全般にその手段が極めて稚拙で不充分であるばかりでなく、現在行われているのは、人家と学校などの建物・施設が在る部分に限られていて、農地や汚染度の高い山林などには手が届いていない。この状態では、いくら人家を除染しても、一雨降れば汚染土・汚染物質が簡単に住宅地に運ばれて来る恐れがある。
【賠償】 東京電力による賠償は、金額も対象も不充分であり、支払いにも大きな遅れが出ていて、被災者の生活再建を阻んでいる。被災者側と東電との仲介を行う機関も設定されたが、思う様な成果は挙がっていないのが実情である。
帰還困難区域に指定され、最低5年間は元の場所に戻れない町の幾つかは、県内の他の自治体に町毎移動して「仮の町」を設置し、「町外コミュニティ」を創る計画を立てているが、受入れ候補の自治体側にも課題が色々あり、早急な協議が望まれている。
政府の避難計画に翻弄され(区域再編成は今後もあり得る)、終わりの見えない不安とストレスに憔悴して、心身の不調を訴える避難者が増え、苦悩の余り自殺にまで追い込まれる人も出ている。この異常な事態と過酷な日常の現実を、住民も自治体も未だに受け止める事ができずにいる。
復興の見通しが一向に立たず、将来の生活設計が立てられない事から、帰還を諦める被災者は増え続け、また避難者でなくても、被曝の恐怖から故郷を捨てて県外に転出する県民は、子供を持つ家庭や若年層を中心に後を絶たない。人口流出の危機は、福島県では特に大きい。
国と県は、特に子供達に配慮した、被災者の生活支援とケアの為の措置を取っている。県民全員の生涯に亘る健康管理調査も始まった。しかしその一方で、原発周辺の居住可能地域では、増える入院患者を前に看護師不足が続き、地域医療は崩壊の危機に晒されている。
風評被害も根強く残り、農業・漁業・その他広範囲の産業活動に悪影響を与えている。この現象は福島県に留まらず、周囲の県にも被害を及ぼし続けている。特に隣りの被災県茨城ではこの被害が大きく、農家や水産業者を苦しめているが、メディアは殆ど報道していない。
人の命よりも社会の秩序と対面を重んじる、誠意と責任感と危機感に完全に欠けた国と東京電力の態度の前に、福島県民全体が、やり場の無い怒りと苦悩を胸に毎日を生きている。
しかし現地に行けば、混乱と戸惑いの中から小さな希望を見つけ、この苦境を乗越えて前向きに進んで行こう、という空気が幸いに感じられる。産業分野のみならず、教育 ・医療その他の施設や多くの家庭でも、行政発表の数字に頼らず、独自に放射線量を測定して、各々に再生あるいは生活の向上に向けて懸命の努力を行っている。
「原発後の未来をどう作るか?」を考え、新しい形の発電と再生可能エネルギーによる新産業を育てようという模索が、県内外の学術研究分野と産業界で始まっている。地域の漁業や農業と繋がった新しいビジネスの開発に、大きな期待が寄せられている。
終わりに
あの2011年3月11日の未曾有の大震災。超大規模の三つの災害に同時に襲われた美しい東北地方。それからちょうど一年半が経った今、被災地では何が起こっているのだろう? 被災者は何を思い、何を必要としているのだろう?
この問いへの正確な答を見つけるのは難しい。それは私達が日本から遠く離れているからではない。日本の中でも、震災の記憶は少しずつ消えて行き、被災地への関心は確実に薄れて行っている。
日本のメディアが時々状況を報道する被災地は、多くの場合、被害が甚大だった五つか六つの比較的大きな町に限られているが、その陰には、支援の手が伸びていない、忘れられた小さな漁村やその名を聞いた事も無い離島が存在する。
しかもメディアが被災者の現状として紹介するのは、苦境に負けず明るく前向きに生きている人達の例が多いが、その後ろには、元気を出したくても出せずにいる人達、それでも何とかして生きようと苦闘している人達が、数倍は隠れていると思われる。
毎日の様に世界中のどこかで惨事が発生している今日、海外のメディアにとって、東日本大震災は完全に過去の出来事となった。原発大国フランスでは « Hiroshima »という一語が原爆とその悲劇の代名詞となった様に、本来地震が引起したこの一連の惨事は « Les catastrophes de Fukushima »といつの間にか一括して呼ばれる様になり、原子力発電の運命の陰で、福島の人達も含めた被災者の運命は、もはや一般の関心の対象にならない。
被災者達の「私達を忘れないで!」「放っておかないで!」という叫び。「被災地を見に来て欲しい!」という訴え。これ等の声を前に、海外に住む私達はどうしたらよいのか?
大切なのは、30万を超える「命」を、私達は被災者と一まとめにして考えてはならないという事。その一人々々が異なった声を持っているのだ、という真実を理解する事ではないだろうか。そして彼等の個人としての「存在」を常に見守り、根気強く支える事ではないか。
これは住む国を問わず、日本人全員が負う責任であろう。被災地が抱える幾多の問題は、東北だけの問題ではない。身体の器官の一つが壊れれば私達は病気になる様に、心身健全な日本を取り戻したければ、社会全体の組織としての支援システムを緊急に築く必要がある。
今私達は歴史の峠に立っているのかも知れない。戦後に替わって、日本では「震後」の時代の幕開けかも知れない。
私達はこの大震災がもたらした意味を深く考え、そこから学び、成長していかなければいけない。原子力が投げかける疑問を、人類の課題として今こそ突き詰めて考え、答を出す事が日本に課されている。問題点を解決して震災前の社会に戻すのではなく、世界の模範となり得る様な、真に新しい日本を築いていく事が、震災を免れて生き残った私達日本人の義務ではないだろうか。
形に見える行動を起こす事だけが支援ではないと思う。被災地を見に行く事ができなくても、「知る」という支援、「想う」という支援があると信じる。その為にこれからもできる限り 、Solidarité Japon 34 は役立つ情報を発信し続けていく事ができたら、と願うものである。                           

             被災地の状況        2012年 3月3日

*余震は一年経った今でも続いている。2011年内で、身体に感じられた地震の回数は日本全体で9.700回に及び、前年度の7倍を記録した。

*復興に当って山積する物理的な問題の中でも、最大は瓦礫(被災三県で2.200万トン)の処理。
‐被災した建物の解体に予想以上に時間がかかり、撤去されて仮置き場に移された瓦礫の量は、12月末現在で、全体の68%の1.500万トンに留まる。
‐仮置き場は各自治体が県内に暫定的に設置しているが、国が探している最終処理場の確保は全く進んでいない。全国の都道府県で、これまで自発的に処理を受け入れたのは一都二県のみ。原発の在る福島県以外の県で発生した瓦礫であるにも拘らず、放射能に汚染されている事を心理的に恐れる住民の反対が強い為、各県とも受入れを躊躇している。

*一方で、大規模な地盤沈下(最高で1,20メートル)が復興を阻んでいる。海面よりも低くなった地面の総面積は、震災前の3,4倍。その為、漁船が助かっても港が使えなかったり、毎日数時間に亘って冠水する水田も存在する。日毎に満潮時には浸水する家や地帯に住む被災者の日常生活を直撃しているが、恒久的な現象であり、盛り土をして土地をかさ上げする等の解決策が打ち出されてはいるが、工事の開始は遅れている。

*地盤の沈下と液状化の問題は東北以外の地域にも及び、関東地方では液状化の被害を受けた家屋は23.700軒に上り、家の傾斜と共に、地下から吹き出した土砂の処理(千葉県浦安市だけで5万トン以上)や地下水による災害も、大きな問題となっている。

*そんな中で、被災地域の最大産業である漁業活動再開に向け、各県が模索を行った末、個々に政策を打ち出しているが、大幅な縮小を余儀なくされる所が多いのが現状で、漁業従事者は不満と将来への不安を隠せない。
‐最も津波被害の大きかった宮城県では、142在った漁港の全てを復旧させる事は資金的に不可能な為(1.200億円)、60港を集中的に再編成し、主要水産事業だけに集約させる予定。残りの六割の漁港には、最低限の整備しか行えない。
‐全14.000隻の漁船の内の70%を失った岩手県では、全111の漁港を復旧させる予定だが、最低6年はかかる見通し。各港を運営する漁業組合の幾つかは、組織の合理化と共に、新しい時代に適した新しい産業方式を検討したり、試行を始めている。
‐福島県では、僅か10港の津波による被害総額が706億円に上っている。

             被災者の状況        2012年3月3日

*震災後11ヶ月経った今尚、4.000体近い遺体が見付かっていない。警察やボランティアによる行方不明者の操作は今も続けられている。

*最大時で45万人に上る人が避難所生活を送ったが、12月末現在で、ほぼ全ての避難所(体育館・学校校舎等)は閉鎖され、避難所で暮らしていた被災者の多くは仮設住宅や賃貸住宅(みなし仮設住宅)に移り住んだ。

*仮設住宅の問題点
‐厳冬の地東北であるにもかかわらず、国は必要戸数と早期建設のみを重視した為、寒さ対策が施されている住宅は、全体の二割にも満たない。常設の暖房設備も無く、冷たい外気の入り込む薄壁のプレハブ住宅で、寒さや病気と闘っている高齢者が多数存在している。一月の寒波時には、水道管凍結事故なども続発した。
‐街の中心部から離れた高台に建てられているケースでは、交通手段が限られ、住民は極めて不便な日常生活を強いられている。高齢者や車の無い失業者にとっては、厳しい現実となっている。
‐こうした理由から、仮設住宅での老人の孤独死・病死が続いている。自治体やボランティアによる、防止の為の努力が見られるが、充分に行き渡っていない。解決策の一つとして、ロボット導入等も検討されている。

*国が設定した『震災時の賃貸住宅利用政策』により、賃貸住宅利用者数(約62.000戸)が仮設住宅利用者数(約51.000戸)を上回っている。県が借りて家賃を負担し、仮設住宅とみなして扱うという制度だが、複雑な入居手続きや、完備されていない医療設備など、改善すべき課題が残っている。

*この他に、アパートやホテルを自主的に借りたり、親戚の家などに仮住まいしている被災者も存在するが、正確な人数は把握されていない。

*失業の問題
‐住居の問題よりも更に深刻なのが、第二の被災とも言える『震災失業』。雇用者も含め、少なくとも12万人が、震災で職を失ったと推測される。この内39%が生きる目的を失い、支え合う家族も亡くし、『生きたくても先が全く見えない、津波で流されてしまった方が良かった』と絶望感を抱く、極めて危機的な状況にある。
‐いくら探しても、提供があるのは主として建設・土木分野の短期の職ばかりで、特に中高年層には向かず、地元で仕事を取り戻せないという悲痛な叫びが各地で聞かれる。
‐水産業に携わる失業者約7万人の内、四分の三には現在でも仕事が見付かっていない。
‐農業従事者でも、状況の厳しさから再開を断念した人が二割以上。敢えて再開した人達にも苦闘が強いられ、利益を上げるまでには全く至っていない。
‐自営業者も三分の二が失職。店舗を失っても援助金給付の対象に含めない資金不足の自治体も多い中、自営業者が自力で再建するには、しばしば二重ローンの負担がのしかかる。津波で流されなくても、地盤沈下した土地に在った店舗や会社は、再開する事も売却する事も不可能で、個人で解決するには問題が大き過ぎる。
‐失業給付金が一月末で切れた人達も被災三県で4.000名に及び、収入が断ち切られゼロになったケースも多い。給付金を受けていても不充分で、貯金も使い果たし、明日の暮らしに困るところまで追い詰められている人が出始めている。
‐産業分野を問わず、働き盛りで復興の柱となるべき世代が直撃を受けている事が、悲劇性を高めている。この世代のアルコール依存傾向も増加している。
‐国は実態を理解していないが、既に職を求めて地元を離れた被災者も多く(2011年度に被災三県から県外に出た人口流出数は41.000人以上)早急に被災地のニーズに合った職創りを行わない限り、真の復興は始まらず、東北のみならず日本全体の社会の根底を揺るがす大危機が生じる事になる。

*震災孤児の問題
‐把握されている震災孤児の数は1.567名。この内両親を亡くした子は240名。国が制定している里親制度ど民間の支援を受けているが、被災範囲が余りにも広い為、彼等の生活環境はよく解っていないのが実情である。
‐今回の震災遺児の特殊事情は、残された片親や祖父母・親戚などの保護者自身が被災者で、自らが精神的にも深い傷を負っている場合が多い事。更には失業者である事もしばしばで、保護者の経済的・社会的困難と精神的苦悩が、遺児達の境遇を更に過酷なものにしている。
‐従って、孤児達の適切なケアを行う為には、国と自治体が率先して、保護者の支援とケアを平行して行う体制作りが不可欠である。

*親を失っていなくても、集中できない、意欲が湧かない、仮設住宅で勉強しにくい等の理由で、授業についていけない子が増えている。家庭環境の変化や転校が原因で、不登校の中学生も出始めている。

*これ等全て、突き詰めれば、被災者家庭の生活再建が進んでいないという問題に行き当たる。

            被災者の生活再建と被災地の復興      2012年 3月3日

*2012年は『復興元年』と日本では言われている。今回の被災には、単に町や港が壊されたというだけでなく、社会組織の全てが根底から崩壊したという特殊性があり、この広大な地域の社会組織全体、更には国の経済構造までに至る、日本社会全体の復興を始めていく、今年が一年目になる。

*具体的には、相変わらず現実を正しく認識できず、動きが極めて鈍い政府の援助に頼っていられない為、現地では被災した市が各々に復興計画案を発表。町単位・村単位でも、町民・村民と一体になって、新しい地域作りに取り組んで行かなければならない、という意識が、あちらこちらで生まれている。

*しかし各自治体にとって、被害の規模が余りにも広きに亘り、過去に例を見ない膨大な量の問題を一つ一つ解決していかねばならない為、前途は長く極めて多難である。

*例えば、津波で一掃された町を再興するには、大きく分けて二つの方法しか無い。
‐一つは、平地部に高さ数メートルの盛り土を行い、その上に新しい町造りをする方法である。しかしこの計画の実現には巨額の資金を要するばかりでなく、将来の津波の危険性を考えて、海に近い平地にはもう住みたくないという住民の強い反対が、若い層を中心にある。
‐もう一つは山林や野原を切り開いて、町全体あるいは住宅地部分を高台移転する方法だが、これにもまた、想像を超える前代未聞の様々な問題が存在する。どちらの方法を選ぶにしても、実現には相当な年月が予想される。
‐沿岸部と内陸の平野部に住民が分散して住んでいた市では、沿岸部の住民を平野部に集団移転させる復興案を打ち出した所もある。

*住民の多数が流され、行政組織としての機能も失い、余りにも弱体化した自治体の中には、復興の意思はあっても力が足りず、前に進めずにいる所も見られる。

*これ等の自治体に在って、被災はしても自力で再建する活力を持った中規模以上の企業の中には、故郷を諦め、県内または外の別の町での再出発に踏み切ったケースも出ている。関連産業を営む企業が次々とその後を追って去って行くと、当自治体からの人口流失を招く危険性がある。

*国や県単位の支援策は存在するが、その恩恵を受ける為に満たさねばならない条件の多くは、零細企業にとっては厳し過ぎる。こうして零細企業は、復興計画の外に置き去りにされていってしまうが、一つの自治体の復興には、その都市計画の実現と、そこに存在する産業全体の再建を平行して推し進める事が不可欠である為、これは憂うべき現状であると言える。

*この不可欠な条件は今回の大震災の特徴でもあるが、残念ながら満たされていると言うには程遠い。現実には、被災三県の三割以上の企業で再興が足踏みし、再建を断念した、あるいは状況が不明の企業は1.500に及ぶ。

*再建を断念、あるいはその消息がはっきりしていない企業の殆どは、この地域の最大産業である漁業に従事していた企業であり、その背後には一連の関連産業に属する企業が多数控えている。一つの市だけでも、該当する職の数は数千に至る場合もある。

*これ等の企業は、建設が行政の管理下に置かれている区域に集中している。即ち、許可無しに自由に建設する事が企業に許されていない場所で、公共の盛り土を必要とする、沿岸部の地盤沈下区域が、主にこれに該当する。

*ここでもその原因は、政府の都市計画の大幅な遅れにあるが、行政側の迅速な決定と行動無くして、被災地と被災者の真の支援とケアは不可能である。

*復興の進度には地域差が見られるが、全体的に見て、地域の復興も被災者の生活再建も、全く思い通りに進んでいないのが現状である。大災害で家族や友人、仕事や家、存在の基盤をことごとく失った苦しみと、深い心の傷から立ち直っていない人達も大勢いる。

*それにもかかわらず、大多数の被災者は、勇気を持って前向きに生きようと、懸命な努力を行っている。被災地のどこに行っても、子供達の輝く様な笑顔に、それが象徴されている。

*大人も子供も、精魂込めた援助を現地で惜しまない、自衛隊や消防団員やボランティアなどの人々と、日本全国から連帯の言葉と物資を届け、協力活動を行ってくれる人達への強い感謝の気持ちを持ち続けている。

*そして、彼等に殊の外勇気を与えているのは、海外から寄せられる支援のメッセージである。子供達はその感謝の念を機会ある毎に言葉に表し、大人になったら恩返しをしたい、他者を助け社会に役立つ人になりたいと、口を揃えて言う。

*被災者を長期に亘って支援してゆく為には、日本社会全体のレベルでの、組織的な援助のシステムを構築する必要が問われている。ポイントは、この未曾有の災害がもたらした問題点の解決にあるのではなく、真に新しい社会を考え築いてゆく事にある。それが我々日本人一人一人に課された義務と言える。

*2011年を一言で表す言葉は何?との問いに、国民が最も多く選んだ語は『絆』。2012年をどんな年にしたいか?の質問には、『希望』の年との答えが最多だった。『共に希望ある明日へ!』を目指し、力を合わせて再建・復興を実現させる事を、日本国民は決意している。

           福島県の状況     2012年3月3日

*福島第一原子力発電所を有する福島県は、地震と津波による被害に加えて、津波の直撃を受けた発電所からの放射能漏洩と拡散によって、甚大な被害を受け、一年後の今もこの事故は続いている。この為、他の被災県とは異なった、極めて特殊な状況に置かれている。

*発電所が位置する地点は、異なる方角から襲って来た二つの津波がちょうどぶつかり合う場所だった為、以南以北に比べて波の高さが高く(発電所地点で12メートル)、不幸にして未曾有の放射能災害を引き起こした事が、調査により判明した。

*県内の地震と津波による死者は1.925名、行方不明者は56名となっている。国が指定した発電所周辺の危険区域・警戒区域に住んでいた住民は、避難を余儀なくされ、県内と県外に避難している人の数は、一月現在、合わせて約62.000名に及ぶ。

*2011年度に県外に転出した県民数は、公式には31.381名だが、非公式には6万名に上ると見られる。現在これ等の避難者は全国に分散していて、福島県内の自治体にとってはその形跡を追うのは困難であり、一方避難者は、避難先を問わず、行政上のトラブルの数々に悩まされている。

*これ等の避難者の為の仮の住居として建設された仮設住宅の数は、一月現在で 15.797戸で、予定建設数全体の95%に当る。仮設住宅とみなされている賃貸住宅は、同25.031戸となっている。

*役所や学校などの行政機能と住民の全体が、町ごと県内の別の市に暫定的に移転しているケースも幾つかある。町民がばらばらになる事をある程度まで防げるこの形は、定年以上の高齢者には比較的受入れられ易いが、現地での職が無い働く年齢層にとっては、やはり問題が大きいと言えよう。

*発電所付近の或る村は、同システムの下、福島県を出て埼玉県内に集団疎開している。仮設住宅やその他の住宅に住む可能性が提供されているにも拘らず、500名の村民の多くは、当初避難所と指定された、廃校となった高校の校舎内で、今でも共同避難生活を送っている。高齢者・失業者・持病を抱えている人など社会的弱者にとっては、不便でも生活を共にできる事が、身の安全の保障となっている。

*職の問題は極めて切実で、これ等被災者の多くは、期間が全く未定の失業状態にある。職は失わなくても、所属企業が県外に移転している場合や、逆に雇用者にとっては、会社は被災しなくても従業員が県外に転出した為に人員不足に陥り、就業に支障をきたしている場合など、問題が複雑化している。

*また、所属企業で働き続ける事ができても、子供の健康を重んじて家族は県外に移り、週日は離れ々々に暮らしている家庭もあり、精神的苦痛や将来への不安と周囲の社会の無理解に悩む上に、二重の経費による苦しい家計を強いられている事が多い。
*発電所周辺地域で農業・牧畜業・漁業などを営んでいた人達も、計り知れない被害を被っている。有機栽培農家の男性の一人は、絶望の余り自ら命を絶った。

*発電所周辺に限らず、県内全体の農業・牧畜業・関連加工産業従事者、及び多分野の製品のメーカーと輸出業者の全てが、生産物の放射能汚染の問題に悩まされている。実害に加え、県外の消費者と海外の取引先がもたらす風評被害の犠牲者でもある。

*避難している子供達は、慣れ親しんだ学校や友達と離れて寂しい思いを胸に暮らしている。避難していない子達も、放射能測定計を着けて登校したり、放射能除染後も校庭で遊ぶ事を敢えて避けて、校舎内に閉じこもって一日を過ごしたり、不健康で不自由な生活を送っている。

*その他の問題として例えば、発電所を経営している東京電力からの賠償金の支払いが遅れていたり、支払われている場合でも、賠償額が不充分で当面の生活費しかカバーされていない為、被災者の生活再建の見通しは殆ど立っていない。

*政府の公式宣言とは裏腹に、福島第一原子力発電所の大事故は、収束からは程遠い状態にある。明日またどんな事故が起きるとも知れず、問題の完全な解決までに、何十年の歳月が必要なのか、誰にも分っていないのが実情である。

*被災者は、自分の家に村に町にいつ戻れるのか、果たしていつか帰れる日が来るのか、帰れないまま故郷は消滅してしまうのではないか、という極めて不確定な状況で不安な日々を送っている。既に故郷に帰る事を断念し、別の場所で新しく生活を築き始めた若い世代も存在する。

*国はきれい事の約束を並べ立てるが、どれも誠意と責任感とビジョンに欠けている。避難者のみならず県民全員が、常に被爆の恐怖と、政府は社会的秩序と対面を守ろうとする余り、彼等の命を犠牲にしているという怒りの感情の中に生きている。

*しかしながら福島県民の多くは、この極端に過酷な条件にもめげず、決して諦める事なく、常に前を向いて進んで行こう、という強い意志を示している。

             被災地の状況         2011年8月25日

*震災後5ヵ月半を経た現在でも、規模の異なる地震が頻繁に起きている。5月だけを見ても、日本全体で、震度1以上の地震が約500件記録され、昨年の10倍。

*多くの町や村で、瓦礫や泥の撤去が未だに終わっていない。

*仮設住宅の建設も完了からは程遠い状態。

*阪神淡路(神戸)大震災で得た教訓から改良を試みたにも拘らず、仮設住宅での相次ぐ老人の孤独死。声掛け・見守り等の明確な役割分担や、居住者間の繋がりを築く為の努力が求められている。

*同じ町村に住んでいた被災者を同じ場所の仮設住宅に、という案も出ているが、実現は困難。

*震災四ヵ月後の段階で、国内及び海外から届けられた義援金(約3000億円)の内、実際に被災地に配られたのは僅かに23%(669億円)。官僚政治の弊害が露出しているだけでなく、市町村の役所の建物自体が被災したり、所員の死亡、書類の紛失等が原因で、実務が大幅に遅れている。

*ボランティアの人数は、阪神淡路大震災の時の僅か3分の1。距離・経費・宿泊場所・求められる支援の種類として肉体労働が多い事等がその原因で、希望者は全国で多数居ても実現が難しいのが現状。

*大規模な地盤沈下(最高で1,20メートル)が復興を阻み、被災地の人々の日常生活を直撃。海面よりも低くなった地面の総面積は、震災前の3,4倍。その為、漁船が助かっても港が使えなかったり、毎日数時間に亘って冠水する水田も存在する。

*地盤の沈下と液状化の問題は東北以外の地域にも及び、関東地方では液状化の被害を受けた家屋は23700軒に上り、家の傾斜と共に、地下から吹き出した土砂の処理(千葉県浦安市だけで5万トン以上)や地下水による災害が、大きな問題となっている。

           被災者の状況        2011年8月25日


*震災5ヶ月後、なお4700名の行方不明者。操作は今も続けられている。この内、家族等からの申請に基づき死亡認定がされたのは6割のみ。諦め切れない思い、割り切れない気持ちから、申請に踏み切れない近親者が多数。

*震災後の初盆で、被災地に帰省した人々の思いは複雑。その人々の為に、捜索中に見付かった写真等の物品を、思い出箱と名付けた箱の中に展示をした町もあった。倒れた墓石に花を添え手を合わせる人の姿も見られ、津波に流されたお寺の住職が、プレハブ寺を造って、被災者の合同葬儀を行った所もあった。

*震災後4ヶ月の時点で、失業給付申請者の数は13万人。内、漁業失業者7万人以上。地元での職を探す人が大部分という事も原因で、既に再就職ができた人は僅かに10分の1程度。

*被災地の11の大学が、就職希望の被災新卒大学生を積極的に採用する様、情報交換会を開いて、全国の企業に要請。

*被災した中小企業を支援する目的で、阪神淡路(神戸)大震災の時の例等を紹介した、『事業再開事例集』を政府が発行・配布。

*被災地外でも、全国に散らばる避難者をどう支えたらよいか、試行錯誤が始まっている。受入れ自治体の支援は最低限に留まっている為、不足を補うべく、NP0が中心となって、被災者一人々々の人生と向き合う、具体的なサポートが検討されている。

*国が制定した多数の支援プログラムの存在が、正しく自治体に伝わっていなかったり、支援活動を希望する市民も多いにも拘らず、それが生かされていないのが実情。

           被災者の心の治癒と地域の復興      2011年8月25日

*今回の大震災からの復興は、阪神淡路(神戸)の様な大都市型震災に比べると、遥かに困難。復興支援には、社会組織の全てが崩壊したという特殊性を、充分に考慮してあげる事が必要で、『いつ避難先から帰れるか』『いつ元の生活に戻れるか』という様な、具体的な見通しを示してあげる事が重要である。

*被災地では、人々の生の声を広く外部に伝えたい、記録として長く残したい、という思いから、様々な試みが行われている。例えば、被災者達自身がローカルなFMラジオ局を設立して、町民のメッセージや生活情報を流したり、復興に向けた市民の決意を、写真と言葉に収めたポスターの作成販売など。

*3月11日のあの日あの時、日本人全員が言葉を失ってしまった。しかし、立ち直る為、出直す為に、『言葉』は絶対不可欠である。被災者から言葉を奪ったまま、押し黙らせてしまう事を避ける為にと、被災地を歩き回って聞いた声の数々を詩に謳い上げ、一冊の詩集を作った人もいる。

*一方、被災した子供達の見えない傷の深さには、計り知れないものがあり、その心のケアは、日本人全員の責任に於いての、大きな課題である。被災各地では、本来3月末に行われる小学校や中学校の卒業式が、五ヶ月遅れで次々と開催され、又、転校を余儀なくされた生徒達の受入れ校では、実務上の困難に直面しつつも、彼等のケアに全力を挙げている。

*復興の進度には地域差が見られるが、町民・村民と共に、町単位・村単位で、新しい地域作りに取り組んでゆかなければならない、という意識が、あちらこちらで生まれている。

*大震災の教訓は多々あり、様々な面で日本人の意識に変化をもたらしている。エネルギー問題や生活様式の変革に関しては言うまでもないが、他にも、例えば家族の絆の大切さが見直され始め、結婚の計画の数が増す等、具体的な兆候が見られる様になっている。

*経済の建て直しの必然性は国内に留まらず、対外的にも、例えば観光立国を目指す日本としては、激減した海外からの旅行者を取り戻す事に力を注がなければいけない。今年7月の外国人旅行者数は、前年比で36%減、夏全体で30%の落ち込みとなっている。

*全体的に見ると、復興への第一歩が踏み出されたばかりで、これからまだ長い々々道程を、日本は歩んで行かなければならない。



被災者の生活状況

ライフラインの復旧の状況

復興支援の状況

ボランティア活動の参加人数(震災より58日経過時点での阪神大震災時との比較)

被災地の状況         2011年8月25日

被災者の状況        2011年8月25日

被災者の心の治癒と地域の復興      2011年8月25日


被災者の生活状況
倒壊家屋数(5月23日現在)
⇒全壊:91484戸
⇒半壊:40454戸
⇒一部損壊:265149戸

-地震、津波、火災による損失は、少なくとも1000億ドル(約8兆2000億円)。
-失業給付の申請に必要な離職票等の交付件数は106461件(岩手、宮城、福島の3県、5月13日現在)に上り、前年同時期と比べ2.4倍増加。
-企業の倒産件数は66社にのぼり(阪神大震災の約3倍)、その9割は得意先や仕入れ先が被災した影響などによる「間接被害型」。

続く不安
*専門家により予測されるさらなる「巨大地震」の恐怖
*マグニチュード5以上の余震回数
⇒3月11日から1週間で262回
⇒5月23日までに456回

避難者数の推移
4月14日 182341人
4月21日 176342人
5月 5日 166671人
5月18日 171508人

多くの人々が避難所を離れ、損壊した自分の家に戻り生活をし始めてしている。

なぜ自宅に戻るのか?
⇒避難所では、居住スペース不足、医療設備不足、プライバシーがない、高齢者に適した設備がない、ペットが受け入れられない、等の理由による
⇒小さな子供がいることにより、周りの避難者に迷惑をかけることが不安

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ライフラインの復旧の状況

水道・電気・ガス
        断水した家屋  停電した家屋  ガス不通の家屋
4月17日    302476     160000     75613
4月21日     92330  15000  4188
5月 5日     74700 11000 0
5月18日 66100 6000 0

鉄道への影響
       地震により直接影響を受けた路線  停電により影響を受けた路線
4月14日         37                69
4月21日         28                67
5月 5日         19                63
5月18日         18                71

ガソリン
震災後は深刻な不足に陥ったが、3月末あたりから少しずつ解消されはじめている。

宅配便
今だ混乱しているが、被災地の営業局止めで配達され始めている。

日用品の配布
⇒避難所での登録制による物資を配給
⇒民間の支援物資の集配所による配布
⇒再開したスーパーなどで購入

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復興支援の状況

見積もられている仮設住宅の必要戸数(県別)
岩手県:14000戸
宮城県:23000戸
福島県:15200戸

現在の仮設住宅の着工戸数(全国トータル)
完成済み:14196戸
着工中 :19292戸
着工予定: 1606戸

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ボランティア活動の参加人数(震災より58日経過時点での阪神大震災時との比較)

阪神大震災(1995年)     東日本大震災
活動人数(推計)    1007900人         258800人
1日あたり平均      17378人          *4462人
(*個別の登録を行わなかった人数は含まれていない)

⇒参加者数の大きな差の原因 
-被災が広範囲で支援の必要な地域が広い
-停電や交通網のマヒにより被災地へのアクセスが難しい
-周囲も被災しているため近隣からの支援が期待できない
-原発問題のリスク現在も予断を許さない原発

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被災地の状況         2011年8月25日

*震災後五ヵ月半を経た現在でも、規模の異なる地震が頻繁に起きている。五月だけを見ても、日本全体で、震度1以上の地震が約500件記録され、昨年の10倍。

*多くの町や村で、瓦礫や泥の撤去が未だに終わっていない。

*仮設住宅の建設も完了からは程遠い状態。

*阪神淡路(神戸)大震災で得た教訓から改良を試みたにも拘らず、仮設住宅での相次ぐ老人の孤独死。声掛け・見守り等の明確な役割分担や、居住者間の繋がりを築く為の努力が求められている。

*同じ町村に住んでいた被災者を同じ場所の仮設住宅に、という案も出ているが、実現は困難。

*震災四ヵ月後の段階で、国内及び海外から届けられた義援金(約3000億円)の内、実際に被災地に配られたのは僅かに23%(669億円)。市町村の役所の建物自体が被災したり、所員の死亡、書類の紛失等が原因で、実務が大幅に遅れている。

*ボランティアの人数は、阪神淡路大震災の時の僅か三分の一。距離・経費・宿泊場所・支援が求められる種類として肉体労働が多い事等がその原因で、希望者は全国で多数居ても実現が難しいのが現状。

*大規模な地盤沈下(最高で1,20メートル)が復興を阻み、被災地の人々の日常生活を直撃。海面よりも低くなった地面の総面積は、震災前の3,4倍。その為、漁船が助かっても港が使えなかったり、毎日数時間に亘って冠水する水田も存在する。

*地盤の沈下と液状化の問題は東北以外の地域にも及び、関東地方では液状化の被害を受けた家屋は23700軒に上り、家の傾斜と共に、地下から吹き出した土砂の処理(千葉県浦安市だけで5万トン以上)や地下水による災害が、大きな問題となっている。

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被災者の状況        2011年8月25日

*今なお、体育館等の避難所生活を送る人多数。時には35度を越える猛暑の中、エアコンも無く、扇風機の数も不足するといった、厳しい条件下の暮らしを強いられ、熱中症で死亡する老人も現れる。

*震災五ヶ月後、なお4700名の行方不明者。操作は今も続けられている。この内、家族等からの申請に基づき死亡認定がされたのは六割のみ。諦め切れない思い、割り切れない気持ちから、申請に踏み切れない近親者が多数。

*震災後の初盆で、被災地に帰省した人々の思いは複雑。その人々の為に、捜索中に見付かった写真等の物品を、思い出箱と名付けた箱の中に展示をした町もあった。倒れた墓石に花を添え手を合わせる人の姿も見られ、津波に流されたお寺の住職が、プレハブ寺を造って、被災者の合同葬儀を行った所もあった。

*震災後四ヶ月の時点で、失業給付申請者の数は13万人。内、漁業失業者7万人以上。地元での職を探す人が大部分という事も原因で、既に再就職ができた人は僅かに10分の1程度。

*被災地の11の大学が、就職希望の被災新卒大学生を積極的に採用する様、情報交換会を開いて、全国の企業に要請。

*被災した中小企業を支援する目的で、阪神淡路(神戸)大震災の時の例等を紹介した、『事業再開事例集』を政府が発行・配布。

*被災地外でも、全国に散らばる避難者をどう支えたらよいか、試行錯誤が始まっている。受入れ自治体の支援は最低限に留まっている為、不足を補うべく、NP0が中心となって、被災者一人々々の人生と向き合う、具体的なサポートが検討されている。

*国が制定した多数の支援プログラムの存在が、正しく自治体に伝わっていなかったり、支援活動を希望する市民も多いにも拘らず、それが生かされていないのが実情。

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被災者の心の治癒と地域の復興      2011年8月25日

*今回の大震災からの復興は、阪神淡路(神戸)の様な大都市型震災に比べると、遥かに困難。復興支援には、社会組織の全てが崩壊したという特殊性を、充分に考慮してあげる事が必要で、『いつ避難先から帰れるか』『いつ元の生活に戻れるか』という様な、具体的な見通しを示してあげる事が重要である。

*被災地では、人々の生の声を広く外部に伝えたい、記録として長く残したい、という思いから、様々な試みが行われている。例えば、被災者達自身がローカルなFMラジオ局を設立して、町民のメッセージや生活情報を流したり、復興に向けた市民の決意を、写真と言葉に収めたポスターの作成販売など。

*3月11日のあの日あの時、日本人全員が言葉を失ってしまった。しかし、立ち直る為、出直す為に、『言葉』は絶対不可欠である。被災者から言葉を奪ったまま、押し黙らせてしまう事を避ける為にと、被災地を歩き回って聞いた声の数々を詩に謳い上げ、一冊の詩集を作った人もいる。

*一方、被災した子供達の見えない傷の深さには、計り知れないものがあり、その心のケアは、日本人全員の責任に於いての、大きな課題である。被災各地では、本来三月末に行われる小学校や中学校の卒業式が、五ヶ月遅れで次々と開催され、又、転校を余儀なくされた生徒達の受入れ校では、実務上の困難に直面しつつも、彼等のケアに全力を挙げている。

*復興の進度には地域差が見られるが、町民・村民と共に、町単位・村単位で、新しい地域作りに取り組んでゆかなければならない、という意識が、あちらこちらで生まれている。

*大震災の教訓は多々あり、様々な面で日本人の意識に変化をもたらしている。エネルギー問題や生活様式の変革に関しては言うまでもないが、他にも、例えば家族の絆の大切さが見直され始め、結婚の計画の数が増す等、具体的な兆候が見られる様になっている。

*経済の建て直しの必然性は国内に留まらず、対外的にも、例えば観光立国を目指す日本としては、激減した海外からの旅行者を取り戻す事に力を注がなければいけない。今年7月の外国人旅行者数は、前年比で36%減、夏全体で30%の落ち込みとなっている。

*全体的に見ると、復興への第一歩が踏み出されたばかりで、これからまだ長い々々道程を、日本は歩んで行かなければならない。

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福島第一原子力発電所事故および被災地の状況について

日々状況は変化している状態です。以下、いくつかのサイトをご紹介いたします。

フランス語、英語 en français, en anglais

Reconstruction Headquarters in response to the Great East Japan Earthquake
http://www.reconstruction.go.jp/english/

MEXT (Ministry of educqtion, culture, sports, science and technology)
Monitoring information of environmental radioactivity level
http://radioactivity.mext.go.jp/en/

KYODO NEWS
http://english.kyodonews.jp/

IRSN
http://www.irsn.fr/FR/Actualites_presse/Actualites/Pages/201104_informat...

CRIIRAD
ttp://www.criirad.org/actualites/dossier2011/japon_bis/sommaire.html

ACRO
http://www.acro.eu.org/

Réseau Sortir du nucléaire
http://groupes.sortirdunucleaire.org/Chronologie-des-evenements

日本語 en japonais

東日本大震災復興対策本部
http://www.reconstruction.go.jp/

文部科学省 放射線モニタリング情報
http://radioactivity.mext.go.jp/ja/

NHK 福島第一原発事故関連ニュース
http://www3.nhk.or.jp/news/genpatsu-fukushima/index.html

共同 東日本大震災最新ニュース
http://www.47news.jp/47topics/e/200026.php

NHK 東北ふるさとニュース(盛岡、仙台、福島放送)動画付き
http://www3.nhk.or.jp/news/touhoku_furusatonews/

SAVE CHILD
http://savechild.net/

フランス放射線防護原子力安全研究(IRSN)発表「福島第一原発事故に関する公報(7)」和訳
http://savechild.net/archives/9698.html

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